農産工房金沢大地

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寄稿記事

◎金沢別院 機関紙「おやまごぼう」(2011年9月号) 
◎金沢別院 機関紙「おやまごぼう」(2011年10月号) 


◎出典:公益社団法人 大日本農会発行「農業」(2011年8月号)

「『米・麦・大豆』の有機農産物の生産加工販売と輸出への取組」

有機栽培農家 井村辰二郎

■はじめに
有機栽培農家井村辰二郎は3つの組織を経営している。①有機農産物を生産する「金沢農業」(個人の青色申告)②その有機農産物を加工して販売する「株式会社金沢大地」③奥能登の耕作放棄地を開墾する「アジア農業株式会社」(農業生産法人)である。
1997年に脱サラして、家業であった農業を継いだ。就農してすぐに実践したのが、(1)有機栽培への転換 (2)規模の拡大(耕作放棄地中心)(3)農産加工への取組であった。
当時、畑地30ha 水田15haで売上が3000万円程であったが、現在は、畑地150ha 水田30ha、3経営体の合算で、売上4億3000万円までになった。
十数年で、耕作放棄地を中心に120haの農地を開いたことになる。

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写真1:金沢市郊外に位置する河北潟干拓地の広大な自社農場

■千年産業を目指して
私が農業に向き合うことを決心したのは、前職である広告代理店で担当した顧客の影響が大きい。担当した顧客の広報宣伝活動をお手伝いする中で、多くの企業やそれら産業が、悩みや葛藤を抱えていることに気づく。たとえば、ある電子機器メーカーには、ヨーロッパ市場の厳しい労働者環境基準の中で、製品から出る電磁波の問題への対応が求められていた。あるメーカーは、自社製品のリサイクルについての対応に迫られていた。生活を豊かにするために生み出された製品も、作りっぱなしではだめで、環境と仲良くできない企業・産業は生き残ってゆけない。当時は、そんな時代の始まりでもあった。バブル経済が終わり、株式会社の寿命は、25年から5年ほどになったとも言われた。上場会社や大企業が倒産したり、その役割を終えたりする。多くの企業・産業が自分たちの存在意義を検証しなければならない時代に入っていったのである。
多くの産業は元来、一次産業から分化して発生したといってもよい。つまり、太古に発生した最初の産業は農林水産業であり、古い歴史を持つ。日本では弥生時代、世界ではメソポタミア文明と中学の授業では教える。
さて、未来はどうであろうか。人類が生きる限り、農業が必要であることは言うまでもない。農業は未来永劫、持続してゆくべき産業なのである。
脱サラして、最初に経営理念を考えた。テーマは持続性、今風に言えば「サステナビリティ "sustainability"」。「千年産業を目指して」私が有機農業を選択したのは、千年後に継承できる経営体のモデルを実現したいと考えたからである。

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図1:就農時に作成した事業イメージ図

■有機農業への挑戦
さて、立派な理念ができても、実践するのは並大抵のことではない。当初、私が目指した有機農業は、水稲に少量多品種の野菜を加え、直売所を併設した有機農園だった。しかし、すでに家族経営で45haの経営面積を持っており、野菜部門の新設は困難であった。父親の手伝いをしながら考えたことは「無化学肥料で、米麦大豆を作れないか」というシンプルな思いだった。父親の説得に苦労したが、最後には父が折れてくれた。「いずれ、お前が経営することになるのだから、好きにやったらよい」。苦労の始まりであった。
当時は有機JASは無く、個々の農家の基準による「有機農産物・有機栽培」が氾濫していた。「有機栽培とはなんだ」こんな単純な疑問を持ち調べてゆくと、ヨーロッパの有機認証制度を知ることができた。「栽培基準・第三者認証」この二つのキーワードが重要であることに気づく。当時、アイフォーム(※注)基準で認証を行っていた日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会(通称JONA)に相談し、私の有機農業がスタートした。後に農林水産省が有機JASによる有機農産物の生産工程と表示の基準作りを行う前に、先進的に有機認証と向き合ったことにより、実需者や流通・消費者との信頼関係が深まって行くのである。
※注:IFOAM(アイフォーム)とは、International Federation of Organic Agriculture Movements (国際有機農業運動連盟)の略称。

■ミッション
私は、前述の経営理念を守るため、営みの中に5つのミッションを課している。農産業が地域の元、国家の元であり、世界的な視野に立っても、その使命があり、責任の重い産業だと考える。
【1. 日本の耕作放棄地を積極的に耕します】
現在、日本の耕作放棄地は、38万haともいわれ、過疎地や中山間地、市街化区域では深刻な問題になっている。私は、就農して十三年あまりで、120haの耕作放棄地を耕してきた。現在は能登(先進国で初めて、世界農業遺産に認定された)の耕作放棄地に注目し、耕作放棄地解消のための仕組みを作りたいと考えている。輪島市門前町山是清の開墾や、農業生産法人アジア農業株式会社の設立により実践してゆく。
【2. 有機農業を通じて、日本の食料自給率の向上に貢献します】
有機農業は、現代農業技術には無い、多くの可能性を秘めていると考える。土地利用型の大豆・麦では、有機農業は慣行農業と相対して収量は劣るが、国や地域・産学・消費者の支援が結びつけば、持続可能な経済活動として自立できる可能性がある。栽培を続けられれば、自給率向上につながる。また、なによりも、消費者との提携や、消費者が生産者を特定した指名買いには可能性がある。消費者が、外国産ではなく国産の有機商品を選択して購入するようになれば、日本の食料自給率も向上すると考える。
【3. 新規就農者等の研修、受け入れ及び育成を行います】
現在、新規就農を希望する若者の多くが、有機農業を志す傾向がある。しかし、技術や経営資源を確保するのは困難であり、研究・研修の間で挫折するケースがほとんどである。行政や有機農業の現場に、新規就農者を育てるシステムや基盤が少ないのである。私の有機農業転換にも苦労があり、現在も多くの問題と戦いながら経営を行っているが、有機農業への参入を希望する若者の手助けができればと日々考えている。
【4. 農産業を通して、地域の雇用を創造します】
地域の農産業が発展すれば、地域の雇用が生まれる。当たり前のことである。就農時、父母とアルバイト計4名で行っていた経営が、現在40名を超える組織になっている。また、障害者の雇用も積極的に行っている。
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図2:従業員数の推移

【5. 農業を通して、東アジアの食料安全保障に貢献します】
2010年の後半急に、TPP「環太平洋戦略的経済連携協定(Trans Pacific Partnership)」参加の是非なる議論が始まった。国の戦略として、FTA・EPA交渉の推進が叫ばれてきたのは認識していたが、この議論は急すぎるし、突拍子もないというのが私の感想だ。日本がTPPに参加すれば、農林水産業への経済的な打撃は大きく、激変に対する策が講じられなければ、日本の農業は壊滅するかもしれない。土地利用型の有機穀物農家として、経営とその持続を考えたときに、私の有機農業は地域の営みであると同時に、世界の動向を理解し、世界に貢献する農業でなければならないと考える。農業が元気なら、地域も元気、国も元気。自国の農業を発展させることは、東アジアの様々な歪を緩衝することにも繋がると考える。

■農産加工への取組(農商工連携・農業の6次元化)
私が、就農してすぐに有機農業に転換したのと同時に行ったことが、農産加工への取組である。自らの有機大豆を原料とした豆腐と味噌の製造を開始した。当時父親に対して「お父さんの大豆は、いったい何になっとるんや」こんな質問をした。返ってきた答えは「さあな、豆腐か味噌にでもなっとるんやないか」。父親の作る大豆の一部は、関西にあるこだわりの豆腐屋さんへ直接販売していたが、ほとんどは、地元の農協へ出荷していた。このやりとりで感じたことは、自分が作っているものを誰が食べているか見えないこと、こんな寂しいことはないんじゃないか。元来、食品加工メーカーの手により消費者に届く大豆や麦は、地産地消や産直の農産物にはなりにくい。私は直感的に、消費者へ直接届く大豆の加工商品を作らなければならないと感じた。消費者が川下から農家や産地をトレースしたがるように、川上から「食べている人をトレースしたい」と強く感じた。いったい誰が、どんな思いで、どんな感想を持って購入し、食べてくださるのか。マーケティングの基本である。「双方向のトレーサビリティー」私はこう呼んでいる。
さて、前述を読めば「なるほど納得」となるかもしれないが、この豆腐作りが難しく、苦戦することになる。サラリーマン時代の貯蓄300万円を投入して、小さな豆腐プラントを導入した。
当時地元の先進的な農業生産法人は、漬物やもち加工といった農産加工部門で脚光を浴びていた。「農家の自家栽培有機大豆による豆腐製造」は、新聞にも載り話題にもなった。しかし、豆腐の製造を行うことで、農産加工(食品加工)の難しさ、大変さを学ぶことになる。自分の有機大豆(当時国産大豆は品質が一定しないため、外国産と比べて実需の評価が低かった)で、消泡剤(豆腐の釜に入れる添加物)無しで、能登産のにがり(能登の製塩の副産物)を使っての豆腐作りは、当時豆腐加工機械メーカーも逃げ出すほど難易度の高いこだわりであった。朝3時に起床して、7時には作業を終えて畑に出る。満足のいく品質を安定させるために、最初の半年は試行錯誤の繰り返しで、作っては捨てるの毎日。なんと厄介な農産加工を始めたものかと、後悔したものだ。
現在も自ら週2回製造している豆腐作り。しかし、この苦労と経験が、OEM(アウトソーシングによる農商工連携)の発想に繋がってゆくのである。

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写真2:農産加工の原点、有機大豆の豆腐づくり

■農産工房「金沢大地」の設立
有機大豆の裏作は、大麦。当時は国産有機麦類の生産は無く、したがってその有機加工品も海外原料が散見される位でしかなかった。裏作の有機大麦は、有機格付けを行わないで、農協へ出荷していた。
ある流通の方から「有機大麦茶を作ってみないか」こんな提案があった。大和茶で有名な奈良のお茶農家が、大麦を焙煎してくれた。つまり、原料を支給しアウトソーシングによる、農家のブランドの商品開発が始まったのである。その後、有機小麦に挑戦することにより、有機醤油や有機小麦粉、大豆関連製品は、納豆やきな粉と広がりを見せ、売上も伸びていった。農作業を行いながら、豆腐の製造・配達・清掃まで、全国からの受発注、請求書の発行など、寝ないで働いた。少しやり方を変えなければと組織の見直しを行った。当時、農業生産法人化して農産加工部門とすることも考えたが、私が選択したのは、別の経営体、食品加工メーカー株式会社金沢大地の設立であった。製造・流通・販売が難しい豆腐作りを経験して学んだことは「もちは餅屋」。農産加工部門として加工を行うよりも、真の食品加工メーカーとなりうるパートナー企業を育てるべきである。多くの企業がしのぎを削るマーケットに参入するには、プロフェッショナルにならねばと考えたのである。
とはいえ、正社員はゼロ、会社設立後も多忙な日々は続いた。

■設備投資と人材の育成
規模拡大や新商品の開発を進めながら、経営資源を充実させる必要があった。まず大規模化に対応するための、農業機械や施設の充実が急務であった。農業機械や設備は高価で、100馬力を超えるトラクターなどの大型機械を必要とする経営の要求を満たす財源は無かった。
もちろん、新品を買うキャッシュは無い。借金は、発展途上の取組ゆえに抵抗があった。
北海道を中心に中古の機械を買い集めて、急激な大規模化に対応していった。設備投資にめどが立って、次に行ったのが農場のスタッフ増強と育成である。個人経営である「金沢農業」には福利厚生が無かった。農業生産法人への移行も考えたが、個人経営でも厚生年金等の福利厚生を充実させることができると知り、厚生年金等の福利厚生を完備した。農場への就職を希望する若者は、福利厚生完備を見て入ってくるものだけではないが、結果として、定着率や労使の信頼関係の資となっていると感じる。以下、私が行ってきた経営資源投資の順番である。
1)農場の設備投資 2)農場の人材確保 3)金沢大地の人材確保 4)金沢大地の設備投資

■ITを活用した販売戦略
全国の共同購入会や、流通への営業活動と同時に取り組んだのが、Web販売やITの活用である。それまで、片手間に行っていたHP及び販売システムを刷新して、2007年に新しくHPをリニューアルした。MT(ブログ・ムーバブルタイプ)とショップメーカー(カゴ機能)を導入した。その後、順調に販売は伸び、現在、年間売上1200万円程に成長している。一日のアクセス数も300件を超え、有機大豆や有機小麦、それらの加工品のキーワードでは、検索サイトの上位にランクされるようになっている。次年度の売上目標は2000万円である。

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図3:Webの売上推移

■有機野菜部門の新設
2009年、野菜専任の社員を雇用して、有機野菜部門(通称ベジタブルチーム)を新設した。
ビニールハウスでの軟弱野菜からスタートして、現在は路地の有機ジャガイモ、有機玉ネギを生産し、本年からは、伝統野菜である「加賀野菜」の生産に乗り出した。現在は赤字で育成部門ではあるが、金沢大地の加工品との相乗効果があり、今後有望な部門と位置づけている。有機野菜部門は現在、20aのハウスが20棟、スタッフも9名(パート3名)に増強している。

■金沢大地「老舗100年計画」
昨年から金沢大地の社員を増員している。
金沢農業・金沢大地のフィロソフィーに共感して優秀な若者が集まってきた。
また、地産地消が理想と考える有機農産物の流通であるが、事業を始めた当時は、石川県の小さなマーケットでは、有機農産物の需要は少なかった。これまで東名阪に集中していた販売活動から地元に戻すために、昨年新しい事業計画を立てた。オーガニック食品を地元市民の台所である「近江町市場」から発信するために直営店を開設したのだ。この店の名前は、金澤大地「たなつや」。「穀屋」と書いて「たなつや」と読む。有機穀物をコンセプトにした金沢の新たな老舗を育てるプロジェクトである。

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写真3:農業の6次産業化を具現化する「金澤大地たなつや」

■さらなる高付加価値商品の開発
これまで、農産工房「金沢大地」では、お米・醤油・味噌・豆腐・納豆といった、身近な日本の伝統食品を開発し販売してきた。金澤大地「たなつや」のブランド開発により、さらに多様で、消費者のニーズに合わせたオーガニック食品の開発を行っている。同時に、OEMから、自社製造割合を増やし、農産工房回帰をテーマに製造部門の強化を行う。

表 金沢大地の開発商品
・やわらか米飴ジャムシリーズ ・奥播州足立蔵 こいくち醤油
・五代目井村辰次郎謹製 穀飴シリーズ ・奈良大和片上蔵 うすくち醤油
・金沢戸室石焙煎 六条大麦茶 ・小豆島ヤマヒサ蔵 こいくち醤油
・有機純米酒「滉 AKIRA」 ・有機米酢
・穀物珈琲シリーズ ・塩糀
・有機大豆のおぼろ豆腐 ・有機大豆の豆乳ソフトクリーム
・有機大豆のもめん豆腐 ・有機大豆の豆乳プリン
・とろとろ玄米甘酒 ・有機小麦のまめパウンド
・さらさら白米甘酒 ・有機小麦のしょうゆタルト
・こめむぎパン 玄米粉50%+小麦粉50% ・全粒粉100%自家製酵母クッキー
・金沢中初蔵 こいくち醤油 ・玄米フレーククッキー  ほか多数

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写真4:農業の師でもある父の名を冠した有機純米酒「滉 AKIRA」

■海外有機認証の取得
私は、EU認証とアメリカ農務省NOPのオーガニック認証を取得している。取得にいたった経緯は、有機純米酒の開発と輸出への挑戦、もうひとつは、海外有機認証原料を使用した味噌・おせんべい・醤油の輸出に対する国産農家の意地のようなものであった。有機純米酒については、日本のお酒は農産物ではないので(国税庁管轄)有機JASマークが貼れないこと、および、生産調整に苦しめられている農家として、お米関連製品を海外に出したいと考えたことが動機としてあった。結果として、EU認証とアメリカUSDA認証取得は、私たちの有機農産物の価値を高めるものとなった。

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写真5:農林水産省有機JAS認証(左)、米国農務省NOP認証(中)、欧州委員会EU認証

■有機農産物の輸出
現在、有機米・有機大豆・有機小麦・有機大麦が、海外認証を取得している。結果として、最初に海を渡ったのは、300g入りの生大豆であった。展示会での商談がきっかけで、スペインの三ツ星レストラン「エルブジ」へ輸出された。このレストランが、世界でも屈指の有名レストランであることは後で知ることになったが、大変光栄な話である。その他にも、まだ少量ではあるが、ブルガリア、アラブ首長国連邦、オーストラリア、アメリカ等へ、有機農産物の輸出が始まった。安全・安心やオーガニックの営みは、世界共通の価値であり、潜在的な市場がある。
私は近年、積極的に有機農産物の輸出に挑戦している。前述の提携や地産地消とはかけ離れていると言う方もいるかもしれないが、その是非は別として、海外の有機農家や流通関係者、消費者と交流すると、「オーガニック」に対する共通の認識が多いことに気づかされる。簡単に言うと「オーガニックは世界の言葉」であり「世界の基準」が生まれつつあるといえる。"I am an organic farmer in Japan." 私は英語を話せないが、この一言で多くの国の人々に、私の農産物の"Philosophy"を想像してもらえる。共通の価値を認め合うことができるのだ。

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写真6:海外のオーガニック食品展示会への積極的な参加

■最後に
東北関東大震災により、多くの方々が被害を受け、原子力発電所の事故により、農作物の放射能汚染や風評被害なども出ている。
私どもの輸出への挑戦も、ヨーロッパではストップしてしまった。
安全・安心が売り物であった日本の農産物の評価が、あの事故以来、落ちてしまった。
また、国内消費者の反応も少し変わってきた気もする。目に見えないものの怖さや、情報を開示することの大切さを、消費者の声から聞くことができる。私たち農家や食品に携わるものは、さらに高い次元の安全を確保しなければならない。安全・安心は当たり前のことであるが、コストのかかることでもある。これから私たちが、安価で安全・安心な農産物の供給を安定的に行うために、何が大切か、何をすべきか、初心に帰って考える機会だととらえている。頑張れ日本。頑張れ日本の農業。




◎出典:金沢別院 機関紙「おやまごぼう」(2011年9月号)

いのちとたべもの「千年産業を目指して」

株式会社金沢大地 井村辰二郎

■安全な食べ物を求めて
日本をおそった未曽有の災害。大震災と同時に起こった原子力発電所の事故は、地域の農業・食品産業にも多大なる被害をもたらした。金沢市八田町で、有機農業とその加工販売を営みとする私の小さな会社でさえもこの事故に関連して、様々な出来事が起こった。
3月末頃から、東京を中心にスーパー等の棚からお米が無くなり、消費者は混乱し通信販売を中心にまとめ買いが集中した。その後落ち着いたかに見えたが、6月頃から再び22年産(事故前の収穫米)をまとめ買いする消費行動がみられた。明らかに今までの常連客とは違う層の顧客であった。同時に、消費者からの電話やメールによる問い合わせの多くは、石川県産の農産物の安全性の確認、工場や保管場所の確認。「22年産原料の麦茶を買い占めたい」こんなお客様もいらっしゃった。お客様の行動や声を、乱暴に「滑稽な」「神経質な」などと切り捨てることはできない。小さな子供を育てる母親として、家族の口に入る「糧」を選ぶものとして、当然の行動であるようにすら感じる。人々の安全な食品に対する願いは、切実である。

■放射能検査
早生品種の収穫を前にこの原稿を書いている。8月中旬から行政による石川県内の早生品種の放射能検査は順次行われ、放射能は「検出せず」石川県のお米の安全性が確認され、新米の販売がスタートする。私の会社で自主的に行った「有機大麦」「有機肥料」の検査結果も「検出せず」安全性が確認できた。しかし、この問題は日本全体の問題である。東北の復興支援の問題や、農作物への風評被害の問題、未だに解決していない汚染土壌の問題。7月8月に東北・北関東から数軒の農家が視察に見えた際に情報交換をしたが、彼らの未来へ不安は計り知れない。同じ日本の農家として、自分たちの農産物の安全性をキャンペーンとしてうたうことはできないし、差別化のポイントとすることは無い。しかし、全国の米屋さん・消費者からの引き合いは強く、結果として売れてゆく。

■海外市場での風評被害
オーガニック(有機農産物)には、国が定めた認証制度が有る。私の農場では数年前から農産物の輸出を行う為に、アメリカのUSDA認証・ヨーロッパのEU認証を取得し、アメリカやヨーロッパへの輸出に挑戦してきた。しかし、今回の事故で、ヨーロッパへの輸出はストップしてしまった。アメリカの市場は冷静であるが、ヨーロッパの人々は、チェルノブイリの事故を経験しており、極東の小さな島国で起こった事故は大きく報道され、日本の農産物を口にすることはリスクだと考えられている。チェルノブイリの事故当時、イタリア産のほうれん草から基準値以上の値が検出されたり、現在でも北欧への汚染が解決されていないなど、多くの国に被害が広がったためである。

■消費者の価値観
現在、オーガニック(有機農産物)の市場は、EUで3兆円、アメリカで3兆円に対して、日本では1千3百億円である。日本のオーガニック市場は、欧米のと相対してまだまだ発展途上であるといえる。しかし、オーガニック(有機栽培)の先進地であるヨーロッパで有機農業が急速に広がったのは、チェルノブイリの事故の後だといわれる。オーガニック市場の今後はさておき、今回の事故をきっかけに、多くの国民が、食糧やそのあり方、安全性について再考する機会になるのではないだろうか。「食」に対する価値観に変化が起こったような気がする。

■ふるさとの農業・自然
食糧自給率の低下や、農業者の高齢化、耕作放棄地の拡大など、日本の農業を取り巻く様々な問題が有る。しかし、ふるさと金沢の風土は、今現在、豊かな土と水により今年も多くの実りをもたらしてくれる。当たり前のことではあるが、農業は自然からの恵みにより営まれ、未来永劫続くものである。
また、地方では、農業は基幹産業でもある。
中学の授業に呼ばれるときに、第一次産業の歴史や重要性の話からすることが多い。もともと、全ての産業は農業から分岐して世を豊かにしてきた。
授業の内容はこんな感じだ。
日本で農業が始まったのは?→弥生時代
世界では?→メソポタミア文明
「衣食住」についての授業
「衣」は?→綿・シルク・麻
「食」は?→農漁業産物
「住」は?→木材・かやぶきの屋根・畳
私達の身の回りにある全ての基幹に農業林水産業が係わっているのだ。
農林水産業は国土・国民にとって多面的で基幹となる産業なのである。



◎出典:金沢別院 機関紙「おやまごぼう」(2011年10月号)

いのちとたべもの「千年産業を目指して」②

株式会社金沢大地 井村辰二郎

■千年産業を目指して
例えば、蝶をカエルが食べて、そのカエルをカマキリが食べる。そのカマキリを小鳥が食べて、その小鳥をワシ(猛禽類)が食べる。こんな食物連鎖を考えればわかるように、環境の中で、そのフードチェーンの高峰に君臨するのはヒトである。農業は生命産業であり、私たちは、その農業をかいして、多くの命を頂いている。
環境と仲良くなれない産業は淘汰される時代。農業が未来永劫存続すべき産業であるならば、農業こそ環境と調和し命を大切にする産業でなければならない。そんな思いから、私の経営理念「千年産業を目指して」が生まれた。

■農業と殺生
ハエや蚊、ゴキブリ。家庭で嫌われる害虫がいるように、農業の世界でも多くの害虫が駆除されている。カメムシ・ヨトウムシ・アブラムシ・マメシンクイガ。しかし、私の有機農業では、虫を直接的に殺すことはしない。実際、虫達や生態系を大切にしていると、害虫により収穫皆無といった壊滅的な打撃を受けることは無いのだ。
一方、日本の農薬使用量は世界一である。2004年のデータで、農地1ヘクタール当り約16kgの農薬を使用している。イタリアの2倍・アメリカの8倍、あきらかに使いすぎである。
たとえば、金沢市北部の水田でも行われているラジコンヘリコプターによるカメムシ防除。
カメムシは、稲の穂にとまり、栄養素を吸う。吸われた米粒には黒いはん点ができ、外観品質が低下するのだ。米千粒のうち一粒でも確認されると1等米にならず、農家にとっては販売収入減となるため、カメムシの駆除対策として一斉航空防除が行われるのである。
一方、食べる側にとってはどうだろうか。大手のお米屋さんは、精米プラントの中で色彩選別機と呼ばれる機械により、高い精度でカメムシの被害粒を取り除くことができる。つまり、カメムシ粒が食卓に上ることは少ないのである。そして、消費者には農薬を減らした農産物や有機農産物を求める方も多く、消費者のニーズと生産現場の意識、そしてお米の検査基準に、ギャップがあるように感じる。
また、自然環境や生態系に及ぼす影響も懸念される。カメムシを殺す為の農薬により死ぬのは、カメムシだけではないのである。

■八田ミミズ
私の農場の有る八田町周辺は「八田ミミズ」とよばれる珍しいミミズの生息地として知られている。百科事典によると、学名は「ジャポニカハッタ」日本では河北潟周辺と琵琶湖の北部にのみ生息するそうである。
小学校の低学年の頃だったろうか、下校途中にあぜ道を歩くと、水田の中にその「八田ミミズ」が大量に死んでいるのを見た日があった。稲の株間にウヨウヨと、数え切れないくらいのミミズの死骸が浮遊している。気味の悪い異様な光景であった。夕食のときに父親に尋ねると「農薬やな」シンプルな答えが返ってきた。昭和40年代前半、当時は高度経済成長と食糧増産政策により農薬が本格的に普及し始めた時代である。父親によると、今と比べてかなり強い農薬が散布された時代だそうである。

■ふるさとの自然
トキの繁殖地を目指す佐渡と能登が、世界農業遺産に認定されたとのニュースは耳に新しい。また、兵庫県や福井県は、コウノトリの繁殖地を目指して、地域ぐるみで環境保全型の農業を振興している。
私が農業を営む、河北潟周辺も豊かな自然環境が残っており、水鳥の「シギ・サギ」の数では、ラムサール条約(世界重要湿地)の条件を満たすというリポートがある。
近くの水田は、冬にはコハクチョウ・鶴など、沢山の渡り鳥が羽を休め、絶滅危惧種である「チュウヒ」をはじめ、多様な猛禽類の餌場となっている。失われた自然環境も多いが、まだ豊かな自然は残っている。この豊かな自然を守り残してゆくのは農業の使命であり、その農業を生かすのは、良識ある生活者の消費行動である。

■風の谷のナウシカ
さて、宮崎駿さんのアニメ「風の谷のナウシカ」の中に「殺さないで、この子達は何も悪いことをしていないの」こんなセリフがある。私が、殺虫剤について考えるときは、常にこのセリフが頭に響く。もちろん使う前提で考えるのではなく、コメントを求められたり慣行栽培農家が使用するのを見たときである。一寸の虫にも五分の魂。益虫・害虫、見境なしに殺してしまうのは、反対である。生態系の一部であり、彼らにも生まれいずる使命があるのだ。
日本の農業が、ふるさとの農業が、環境保全型農業へ舵取りすることを願って止まない。
自然を愛で、自然と共に営む、千年以上の良い風に守られ、生活を営む「風の谷の人々」の様に。


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